Past

2017/04/17

インド旅行記 01 ニューデリー/ ジャイプール/ アグラ/ バラナシ


2月中旬から4月中旬にかけてインドを訪れた際の旅行記です。

(この記事は5頁編成です。当頁は1/5頁目です。)


※記事が長くなったので、5頁に分割したのですが、
それでも本頁は8000文字近くになってしまいました。


一度に読むと大変と思いますので、
どうかご自身で負担が少ないように
閲覧して頂けたら幸いです。



あまり観光はしていませんので
旅行記やblogとしては成り立って
いないかもしれません。
退屈だったらごめんなさい。笑






インドは人も町も粋で洒落ていて
吸収したい事も魅力を感じる部分も
たくさんあった。



自分がこの国に呼ばれたかどうかはわからなかったけど
誰に対しても門は開いている印象を受けたし、
今の自分が求めていたもの、経験すべきだった事、
すべてが用意されていた気がした。



インドは好き嫌いが分かれると云われているし、
自分も例外なく嫌な目にあっているし、各々が旅に求めるものも目的も異なってくると思うから、誰にでもインド行きをおすすめするということは決して出来ないけれど、
例えばもし自分のこのblogを読んでくれた事がきっかけでインドに行ってみようと思ってくれた方がいたならすごく嬉しい。




インドは絶対その人に合った壁やサプライズを用意してくれているし、大変な事はたくさんあるだろうけど、その人に対してオンリーワンなドラマチックなストーリーを作ってくれる。


僕はもう既に、その人の事が少し羨ましい。







<北>
ニューデリー→ジャイプール→アグラ→バラナシ
→ガヤ→コルカタ

<南>
ムンバイ→ゴア→ハンピ→バンガロール
→マドゥライ→カーニャクマリ→コーチン


(旅程43日間)



●DAY 01,02 /New Delhi (2/17,18)

(最初の数日はいっぱいいっぱい過ぎて
New DelhiやPahal Ganjの写真は一枚も
撮れませんでした。笑)

New Delhiは人が多く
忙しく、騒がしく
ゴミゴミしていて空気も悪く
良い奴も悪い奴もいて
カオスでハングリーな町だった。

安宿街のあるパハルガンジ地区は
路地は薄暗く野良犬と水溜りばっかりで
危険な香りが漂っていて
ただ歩くだけでも
初めの方はかなり気を張った。


はじめの方は「すべて」において慣れていなかったので、
危機回避能力も低かったし、自分の応戦方法も甘々で
何をしようとしてもうまくいかずに悔しい思いの連続で、
散々な幕開けだった。


負かされ続けたおかげで、

「ユーアーフレンド」

「ノープロブレム」

といわれただけで
胸ぐらを掴みにいきそうなくらい
神経が張り詰めていたし、

毎回毎回、見事に騙されるので
ひょっとして出会う全員がグルで
国単位で自分を騙しにかかっているのではないか、
とか途方もない勘ぐりもした。

「I have no money!」
「I can't pay any more!」
「You are crazy!」

は、もう言い飽きて
すっかり発音が上手になった。笑





シク教寺院では、裸足になるので、
サンダルをカラビナでデイパックに
外付けして入場しようとしたら
サドゥーに「神への冒涜」だと叱られた。







デリーからラジャスターン州のジャイプールへ移動。







●DAY03 /JAIPUR (2/19)



ジャイプールの宿では弱冠のぬるま湯が出た。
3日目にして念願のシャワーができる、と
露店で1ルピー(2円)でシャンプーを買って
極めて水に近いぬるま湯で震えながら全身を洗った。

ドアの鍵が壊れて入れなかったり
宿の窓から外を眺めてたら
窓が外れて危うく落ちそうになったり
八百屋で野菜を見てたら
中から猫が飛び出してきたりしたが
ジャイプールはのどかで良い町だった。







砂埃舞う夜の小汚い道を
たくましく足早で歩くサリー女性の
唾の吐き方がセクシーだった。



出発の2ヶ月前から胃をスパイスや薬草に慣れさせようと思い、カレーレシピの本を頼りに
なるべくな頻度でインドカレーを作って食べてきたけど、結局3日目以降からお腹は下り始めた。笑

インドのこったりとした辛く濃い味付けに
さらに塩を振って食べてる自分の味覚も
順調に狂っていった。





●DAY04 /AGRA (2/20)



4日目になってトゥクトゥクとの戦いが
楽しくなってきた。

とりあえず、ふっかけられてる前提で
高いわ乗るかアホっと遇らうが
こちらも距離感が分からずに言っているので
基本的にモメる事になる。
お互い様である。

好きトゥクトゥクとの出会いでその日の
運命が決まる気がする。





タージマハルに入るときにセキュリティチェックに通したパックが没収された。

大きさオーバーらしい。周りの皆んなは確かに
手ぶらか小さいサブバッグであった。

パスポートとお金とカメラしか持って入ったらいけないと言われたが、南京錠もないし全部預けるとか正気の沙汰でないと思い、盗られてもいいものだけをデイパックに入れて預け、その他ほぼ全ての荷物をもらったビニール袋に無理やり入れて場内に持ち込んだ。

タージマハルへ訪れる際は、先ず宿に嵩張る物や不要なものを置き、南京錠とワイヤーロックで強靭に施錠してから、パスポートとお金とクレカとカメラとスマホ(その他貴重品)を持ち、サブバッグひとつで挑むのがベストだと思います。
良ければ参考にして下さい。
(預ける事ももちろん可)

※入場料 1000ルピー(2000円)







タージマハルよりもアグラ城の方がエグいと友人が教えてくれた
けど、確かに自分もアグラ城の方が好きだった。

建築云々の話はわからないが、人も少なくて
城内のガーデンも心地よくて長居できた。
















●DAY05 /AGRA→VARANASI (2/21)

@AGRA FORT JN



因みにJNはジャンクションの略称。多分。

列車が来るまでの8時間、
駅の中で待ちぼうけ。






バナナを食べてたら駅にいる
猿に飛びかかられて
みんなに笑われた。
猿が3才くらいの子供に襲いかかろうと
奇声をあげながら近づいていったら
子供は持っていたペットボトルを
大きく振りかざして威嚇して
猿を追い払っていた。






●DAY06 /VARANASI (2/22)

今回、渡印した目的のひとつであるバラナシへ


AgraからVaranasiへは
列車で12〜16Hくらい。





念願のバラナシ到着。




着いた日である今日はevening timeから
ガンガーでセレモニーがあるらしいので
行ってみた。






"DHRUPAD MELA"



色んな人がたくさんいて
愛でたい空気に溢れていた。

その愛でたい空気を創ってくれているのは
僕らtouristではなく、現地の人達であるのは
明確だった。

観光客が集まってゴッタ返そうが
カメラでパシャパシャしようが
いつもの様に儀式を神妙におこなってくれる
地元の人達に有り難みを感じる。












セレモニーがある日はガンガー付近は混雑が予想されるため、トゥクトゥクやリキシャは入れず、歩行者天国となる。夥しい数の人が同じ方向に向かって歩いてるのでGaṅgāまでの道程に迷う事はないが、貴重品の管理にはかなり警戒が必要。自分はマネーポケットを持っていなかったのでiphoneと財布はパックに詰め込んで、前に抱いて歩いた。バラナシのレストランでたまたま一緒になった日本の学生はポケットに入れていたスマホをスられたらしい。しかも全く気付かずに。観光客を狙った手慣れたスリ師がうろついていると頭に入れて警戒しまくっても損はない。どうしてもポケットに入れたい人はチャック付きかボタン付きのポケットに入れるなり、財布にチェーンをつけるなり何かしら防犯対策が必要だと思う。





ヴァラナシはリアルな町だった。
目にするもの、感じるものが
強烈で生々しすぎて
日本で平和に暮らしている今の自分には
すぐには処理できなかったし
まっすぐに受け止められる
自身の経験値も器もなかった。

でも目に焼き付けて
まっすぐに捉える事の方が
大事だと思い、
何を感じるか自問自答していた。



Varanasiの交通事情は
ありえないほどごった返している
タクシー、リキシャ、トゥクトゥク、
歩行者、自転車、地面を這っている者
道路を逆走しているバイク、
それぞれが自ら事故りに
突っ込んでいるようにしか見えない。
奇跡的にスレスレで助かる
一か八かのリスキーな
スタントの様であった。

ヴァラナシのドライバーでさえ
Uターンや割り込みに30分くらいかかったり

しかめっ面して
「it's complicated.」
とボヤいたりしていた。


みんな攻めた運転をしているけど
不思議と歩行者も傷付けないし
接触事故も一度も見たことがなかった。


しかしヴァラナシに着いた初日である今日
事故現場に2度も立ち会ってしまった。

ドンっと鈍い音と共に
リキシャとタクシーに自転車が完全に
挟まれていた。

あ〜あ、と思ったが
次にそちらを振り返った2秒後には
示談が成立していた。

というか、事故という認識ではなく
ただ肩がぶつかった程度の認識かもしれない。

もう一件はバイカーが転倒して
ビタビタに尾けているトゥクトゥクが
それに突っ込んだ。
一瞬渋滞になり砂埃が舞ったが、
10秒後にはその転倒したバイカーが
自分でバイクをおこし
そのバイカーをオカマした
トゥクトゥクが追い越していき
それに続く後方の車やリキシャが
追い越していって事故は風化された。

因みにガヤで乗ったトゥクトゥクは
自分が乗っている状態で事故った(笑)
(ドライバーの急ブレーキにより
後続車がオカマ。自分は無傷。)





●DAY07〜10 /VARANASI (2/23〜26)

次の日の早朝、ガンジス川に
朝日を見に行った。


















「壁画制作」

帰ってからホテルのエントランスに
壁画を描くことになった。

普段する事のないベタ塗りを
現地の塗装屋に見られて嫌だったけど
彼らには相当助けられた。

ハケから一本毛が飛び出してたら
近づいてきてそっと抜いてくれたり
ペンキを溢したら、自分のシャツを脱いで
そのシャツで床をゴシゴシ拭いてくれたりした。

油性塗料まみれになった
そのシャツはもう捨てるしかないのに。


彼らは職人気質で喋らなかったけど
終始優しかった。

日本と違い現場を養生しないスタイルも含め、
心強くてかっこよかった。




(photo by Emanue Sandella)













壁画を描くうえで、経費やお金の事はもちろん、絵のイメージに関しての話も全て英語でオーナーとやり取りしないといけなかったし、画材を持ってきてなかったので
現地調達になるのだけど、インドも都会といえど画材屋やホームセンターがたくさんある国ではないので、宿から買いに行ける距離の範囲内で買い物に行くので、当然手に入る画材や色数に限りが出てくるので、「有るもの」で「足らす」という課題もあったしとてもいい経験になった気がした。

海外で壁画を描くのは初めてだったので、プレッシャーもあったし、
色々不慣れな点やピンチもあったけど無事に完成できてよかった。









壁画が終わったので一息ついてリフレッシュしようと外に出た。










午後のガンガーの散歩














●DAY11 /VARANASI (2/27)

明日から次の土地に移動するのだけど、
長く滞在したので、流石に愛着が湧いて
出発が名残惜しかった。

インドに着いてから初めての感情だった。

明日の朝は早朝5時にチェックアウトするので
前の晩である今日、よく遊んでくれたホテルのオーナーの子供達に
ありがとうと別れのハグをしようと思ったら

「私たちも学校に行くから5時起きだから
明日の朝もまた会えるよ!」と言ってくれて
最後の最後まで可愛かった。

次に来た時はこの兄妹の好きな
クレヨンしんちゃんのグッズを
プレゼントしようと思った。








●DAY12 /VARANASI→GAYA (2/28)

"This is a Deep story"

バラナシには2つ列車の駅があって
今朝ガヤに向かって出発する駅である
ガンガーやバラナシメインストリートからは
20kmくらい離れている
MUGHAL SARAI JNという駅へと向かう。
同じ宿に泊まっていたイタリア出身の女性と
東京出身の男性もたまたまガヤに向かう
同じ列車を予約していたので行動を共にした。

朝一の7:00発の列車に乗って
ガヤに10:05着の筈が
駅のボードを見ると自分達の乗る
列車の番号と名前が
表示されていなかったので、
どうやら大幅の遅れのようだった。
列車の到着が10時くらいになりそうだったので、
周辺を散歩したり朝ご飯を食べたりして
時間を潰した。





自分達の乗る列車の5ケタの数字
と列車名"JHARKHAND EXPRESS"が
やっと表示され、
列車がくるPF(プラットフォーム)もわかったので
駅の中に入り、指定のPFで待機した






遅延を教示するボードの「LATE」が初め
3Hだったのに最終的に6Hまで延びた。 
そしてその辺りからボードに自分達の
列車の番号がなぜか表示されなくなった。

そして14時近くになった頃
悲しい事実が発覚した。

自分達の列車はPF変更になり、もう発車したそうなのだ。

PF変更の際はアナウンスされてると思うけど聞き取れないので、ボードから自分が乗る列車番号が消えた事に直ぐに気付き、他のPFのボードに目当ての列車番号があるか歩きまわって確認するか、入り口にある全列車の情報が表示されるメインボードのところまで確認しに戻って、再び変更されたPFに入り直すしかない。
これに対応するには慣れてないとかなりキツイ。

折角取り押さえた予約席がパァとなり
愕然としたけど、切符を買い直すしかないので
1番安い一般車両の「ジェネラル」という
自由席の切符(90ルピー)を買い、
次の列車を待った。

次の列車は16:50発だ。

朝から7時間も
駅の中で待っている身からすれば
次の列車までの待ち時間なんて短く感じた。

次はPFの変更にも気づけるように
すべての列車のPFとLATEが表示されている
駅の外の大きいメインボードの前で
時間を潰した。






因みに東京の男性は本当は昨日も
この駅に来てガヤに行くつもりが
列車を乗り損ねたそうだ。

彼曰く乗るべき列車の5ケタの数字が
列車自体に記載されていなくて不安で
近くにいたローカルに訊いたところ
この列車は違っていて次に来る列車が
正しい、と言われて信じたら
過ぎ去った初めの列車が彼の予約した
列車だったらしい。
災難極まりない。

その後トゥクトゥクでその列車を追いかけたらしい。笑

追い越し先回りして次の駅から乗ろうと思ったみたいだけどさすがに無理だったみたいで
トゥクトゥクで引き返し、想定外の出費をし
チェックアウトしたはずの宿に戻って
もう一泊した、という流れだ。

そう考えると彼のこの流れは
精神的にも結構キツイと思う。

予約席を2度、失っている。

しかし当人の彼は
良い経験だよ、と笑っていた。

東京出身のハヤミ君は
院卒でまだ若いのに
大らかで余裕があって
しっかりした男だった。

かなり好感と尊敬を持てた。
一緒に居ても楽しかった。


そして肝心の列車はというと
なんやかんやでガヤ行きの列車の遅延は
1.5Hとなっていた。18:20発だ。





長い待ち時間だったので3人で色々話した。
初めはそれぞれのプライベートについて
話していたけど、そのうち
人生観や価値観などといった濃い話に
なっていった。
イタリア出身のマノちゃんは子持ちの40代で
独自のphilosophy of her lifeを
たくさん語ってくれた。

他人との関係の在り方とか
理解しあう事の難しさ
自分なりの幸せとは何か、とかである。
勿論会話は英語になる。
特に僕が英語が頼りないので
お互いが理解しあうまで紙に書いて説明したり
ハヤミ君に通訳を頼んだり(情けない。。)
ジェスチャーで身振り手振りで説明したりして
妥協せずにちゃんとディベートした。

深い話になっちゃったね、
と言い合って笑った。

各々のdeep storyを聞けて良かった、とも。

そして列車を乗り過ごした者同士が
駅でこんな話をしているこの事自体が
"This is a Deep Story"
だね、と誰かが上手いこと言った。







18時を回って指定PFで待つ。
19時を回る。20時を回る。

13H以上駅にいて日の出と日没を見た。
結局今日も一日終わっちゃったなー、
と彼は笑った。

そしてまたもやPFの変更。
同じくガヤに向かう現地人が教えてくれた。
(教えてくれないと気づく由がない)

変更したPFに21時ごろ列車がきた。

現地人が現地仕込みの乗り方を
レクチャーしてくれるので
追っかけながら
列車と共に並行して走った

ここに飛びのれっというが
人が溢れ出して3人はさすがに
潜り込めないので各々散り散りになった

ガヤまで4〜5時間の乗車時間とはいえ
東京山手線の出勤ラッシュの1.8倍程のこの
凄まじい圧迫地獄では
呼吸困難になってしまう。
気合いとか忍耐という域を優に超えている。

ガヤ行きの現地人は自分たちの
無理を察してくれ
SLEEPERに滑り込め、という。

スリーパーとは予約席ベッド車両だ。
そこに無理矢理潜り込み
車両には入れずにトイレの前の
連結部におさまった。

立ちっぱなしはさすがにキツかった。
座り込みたいがちょうど洗面所の前なので
さすがに迷惑だと思い遠慮した。


ガヤ駅に着いたのは日が跨いだ。
もう疲れていて駅に着いたときの記憶がない。

覚えているのは
ガヤの駅に足を
踏み入れた瞬間、3人で手をとりあって
心の底から喜んだ。

他人の心だけど、
2人とも自分と
同じ思いに感動していると分かった。

バラナシからガヤへの移動の壁は
大きかった。

僕と彼女は一日がかり
彼に関しては丸々2日かかった。

また、3人でこの苦労を共有できた事は
なんとも言えない幸福感だった。


駅の出口に向かっている途中で
誰彼からかは決まらず

「This is a Deep story」

と言って笑いあった。

足取りが軽かった。




blog 02に続きます。(作成中です。。)